1章 紅き死神そして黄金の姫 001

 夜が明けて間もない頃、一人の年若い軍人が、アリアス城謁見の間に現れた。
 彼は、黒髪黒目の、あまり目つきのよろしくない痩身の青年で、名をティア・セオラスという。剣の腕前は確かであるが、別段特別な役職を持っている訳でもなく、日々鍛練にのみ励むばかりという毎日だった。
 彼の他に室内にいるのは十数名。まず目につくのが、豪勢なマントを羽織り、高そうな赤地の布を張った金の縁取りの付いた椅子に深く腰掛けた男である。そしてその傍らに控えているのが、喪服のような漆黒のドレスを纏った女である。特徴的なのは、面(おもて)をすっぽり覆い隠すような黒いレースのヴェールを被っていることだ。
 その他には、各々がきっちりと役割を充てられているのだろう、何人もの従者と思しき者達が部屋の隅に固まり、控えていた。
「ティア・セオラスと申します。国王陛下直々の命を賜るべく、参上致しました」
 気取らない、いつも通りの声音でそう告げる。
 正直気乗りはしない。だが、心の片隅ではわかっている。只、同じことを繰り返す毎日に、いい加減蹴りをつけねばならない。
 その為に彼は今此処にいる。
 目的に近付くことだけを願って――
 そしてその彼を高い位置から見下ろしているのが、このアリアスの地を治める国王陛下であった。
 その御前に膝をつき、深く頭を垂れる。彼の名乗りは謁見の間に広がり、堂々たる御声が返ってくる。
「頭を上げよ」
 年は四十代後半だったか。年齢に見合った、風格のある声だ。
「其方(そなた)には、大事な娘を守ってもらうのだ。余計な礼儀などいらぬというものであろう?」
「はい」
 その声に従い、ティアは静かに顔を上げた。
 彼の正面には豊かな金色の髭の王が鎮座し、その隣には……。
 視線をずらした瞬間息を呑む。
 その隣にいるのは……。まさか……。まさか……――
 どくん。
 心臓が、早鐘のように脈打つのがわかる。
 ヴェールから零れた金髪は肩口までで、絹糸のような光沢をしていた。それは緩い弧を描き、背中に向かって流されている。
 顔は見えないのに、ヴェールの奥からじっと睨み付けられているような気がした。
 そのヴェール越しに、一瞬、視線が絡む。
 そのまま、時間(とき)が止まってしまったかのように、動けない。
 ……ふいに、視界がブレる。
 その真っ直ぐな視線は旧知のモノ?
 心の底からの渇望。
 ……ァ…様……。
 声は出なかった。乾いたように喉に張り付き、苦しかった。
 世界がその人だけになってしまったような孤独感と焦燥感、そして焦がれるまでの愛おしさ。
 求めて止まなかった人がそこに、いる……?
「ティアと言ったか」
「…は、はい」
 ふいに掛けられた声で我に返り、ティアは慌てて返事をする。全身が汗で濡れていた。
「儂の娘を、……ロナを……宜しく頼む」
 初めて見せた疲れたような声に少し驚く。
 それは、歯切れの悪い言葉だったが、そこで話が一段落ついたことに気付く。
「御意、陛下」
 逸る気持ちを抑え、ティアは再び頭を垂れた。
「では儂は執務(しごと)があるから、失礼する。だが、まだ外も暗い。暫(しばら)くしてから発つが良い」
 そう、早口に捲(まく)し立てられる。
「多大なるお心遣い感謝致します」
 王はその言葉を聞き終えるや否や、何人かの従者を従え、謁見の間を辞した。
 だが、王は傍らの女には一瞥をくれることすらなかった。

「少し席を外してくれるかしら?」
 しんと静まり返った室内。父王の出ていってしまった謁見の間で、王女は残された従者達に微笑みかけた。その声はまだ幼さすら残る声で、少し驚く。
「はい」
 そう言って一礼をし、彼等は謁見の間を後にする。そのどの表情にも、喜色の色が含まれていたのは、嫌というほどよく分かった。
 だが王女は気にしていないような調子で続けた。
「ところであなた。確か……ティアと言ったわね?」
 二人しかいない謁見の間は、先程までよりも何倍も広く感じる。
 どくどくと、自分の血流の音が耳に届く。
「はい、王女殿下」
 静かな室内に二つの声が木霊する。
「ティア・セオラスと申します」
 ティアはもう一度膝をついて頭を垂れた。血流の音が煩い。
 今日から、彼女が彼の……新しい、主人である。確か六番目の王女だと聞いているが……。
「そう、あたしはロナ。ロナ・デモート・アリアス」
 ほんの僅か、声は強ばっていた。深呼吸するような間があって、その後(のち)、衣擦れの音が耳に届く。
 頭を垂れていたはずのティアの視界に、黒い、喪服のようなドレスの裾が入り込む。
 不審に思って顔を上げる。
 跪(ひざまず)くティアと目線を合わせるようにして、王女が目の前にしゃがみ込んでいた。
「驚かないで欲しいの」
 その声は、しんと静まった室内で思いがけず大きく響いた。
 ティアは王女の行動の意図が掴めず、知らず息を呑んだ。
 そうしている間に、彼女は頭に手を遣り、それを一思いに引く。
 黒いヴェールがはらりと床に落ちる。
 父親と同じ、豊かな金の髪と雪のように白い肌が露(あらわ)になる。団子のような小さな鼻とあどけなさの残った口元。そしてやや垂れ目の目元は紅と蒼。それはどちらも、硝子のように澄んだ色をしていた。
「この通り……」
 初めて見たが第六王女の姿だったが、その形相には驚きはしなかった。
 只、それが期待した姿ではなく、ただ落胆した。それだけであった。
 そして後になって思い出す。これが噂の王女か、と――
 色違いの瞳が一度だけ瞬(まばた)く。
「わたしの両の瞳は色違い」
 その瞳がティアの黒い瞳を真っ直ぐに射る。
 彼は何も言わなかった。
 求めて止まないものは別にある。
 深呼吸をして、こう告げる。
「……こんな異相の娘に、本気で付いてくる気は、……貴殿にはあるのかしら?」
 声が、震えていた。
 左右で色は違えども、その両の瞳の奥には不安の炎が揺れていた。
 その瞳を見つめる。
「……俺は任務に忠実です。例え、貴女(あなた)がどんな容貌であれ、付き従うことには異存はありません」
 ティアは静かに答える。先程までの衝動はどこかに消え去ってしまっていた。
「ホント……?」
 目が潤む。
 そんな風に言ってくれるとは思わなかった。肩の力が抜けたように、王女は目元を緩めた。
「……ありがとう」
 その表情には明らかな安堵の色が見えていた。
 ティアはそれを複雑な心境で眺める。
 目の前にいる少女は初めて会った。なのに、一時(ひととき)だけ、知った匂いがした。
 そしてそれはティアの大好きな匂いだ。
 だけど……。
「じゃあ行きましょっ」
「……は?」
 ロナは立ち上がってすっきりしたように半回転する。黒いドレスの裾が弧を描く。
「あたしは早く、このちっぽけなお城を出たいの。外の世界は広いんでしょう?」
 答えを待たずに続ける。
「わたしは世界を知りたいわ」
 そう言って王女は楽しそうに笑った。

 それから、ロナは纏めてあった自分の荷物を持って城を出た。
 皮肉なことに見送りの者はおらず、別れを惜しむ者もいなかった。
 だが、影で囁く声は幾つも漏れ、聞こえた。
 ついに異端者は追放されるのだ、と。きっと噂は尾ヒレをつけて流れるのであろう。
 しかしロナはそんな様子に目もくれず、外の世界へと向かった。
 ティアはただ、静かに主人に付き従い、新しい主人(あるじ)の時折見せる、僅かな歪んだような表情(かお)は見なかったことにした。

あとがき

2010/03/21
こっちが序章だと思い込んでいました。1章で、出立だったんですね←
2007/08/04
ちまちま修正もかねて掘り起こしました。
日本語は。楽しいけど難しいです。

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