幸せだったあの頃 002
朝になって少年が起きた時に、半埋まり状態になっていたのには少し驚いた。顔に薄く積もった雪が冷たくて、彼は穴から飛び出した。
「……へっくちゅん」
何だか可愛らしいくしゃみをしてから、ぶるっと身震いをした。
「……はぁっ」
両手で口元を覆って、息を吐き出す。少しの間暖かくて、心地良かった。
彼は穴の中からリュックサックを掘り出して、食糧を物色する。昔の人が言った、腹が減っては戦は出来ぬという言葉は的確なようだ。
リュックサックの中には、パンと果物があったが少し凍っている。
どうしようかと少し考えてから、火を炊くことにした。
周囲は森で、雪に埋もれているものもあったが、薪など腐るほど落ちているのだ。彼は適当にそれらを見繕って、火打ち石で火をつけた。
すぐに身体が暖まって、パンを軽く焼いて熱々のまま頬張った。
「……旨い」
それらをすっかり平らげてしまうと、彼は手袋を外して、包帯を取り払ってしまう。
少しだけ傷口が化膿して、昨日よりも悪化していた。
身体が暖かいと血の廻(めぐり)が良くなって、痛みを感じやすいのか。昨日よりも物凄く痛かったが仕方がない。
彼はさっさと傷口を水で洗って、新しい包帯を念入りに巻き直した。だが、巻き方はやっぱり下手くそだった。
「さぁやるか!」
彼は気合いを入れ直して、手袋越しにスコップを握った。
かなりの激痛が走ったが、気のせいだと思うことにする。
彼は早速スコップを握り、その背でぺたぺたと雪山を叩いては、大きくしていく。
「あ、そうだ……おはよう」
彼は大木を見上げてそう言った。
只今、彼らは共同生活中なのであった。
いつからだろう。彼の雪山はいつしか、彼の背丈程の高さになっていた。
「へへ、半分完成!」
とりあえずは第一段階突破というところか。
日は高くなっていて、そろそろ飯時(めしどき)である。
彼は昨日の夕方食べた干し肉を焙(あぶ)って食べた。昨日は味が染み出して来るのが旨かったが、今日のは柔らかくて熱くて美味しかった。
「さてと」
彼は重たい腰を上げて作業に取り掛かる。
ついでに減ってきていた薪を足して、それから、毛布を広げて干しておく。
彼がせねばならないのは次の作業である。
次は、さっき作った雪山に穴を空けるのだ。その作業は並大抵のことではなかった。
なぜならさっきまでとは違い、彼が掘らねばならないのは、しっかりと固めた雪山なのだから。
「はぁっ……はぁっ」
彼は息が乱れるのも構わずに、その作業だけに集中する。
息が上がるし、汗はかく。喉が渇けば雪を食った。
彼が作っているものは雪の家。
どこかの地方ではカマクラと呼ばれるそれを、彼は熱心に作っていたのだった。
潰れた豆が強く、痛む。
でも今日中に完成させないと、今夜も冷え込みそうである。
叩いて固めた事で、氷になってしまったそれはとても堅い。時間がかかるのは分かっていたが、流石に疲れる。
「あと少しなんだけど」
現在、人が一人ギリギリ入れそうで入れない。否、入ってもいいが、腰が悪くなりそうである。
「頑張るか」
少し暗くなるまで作業を続けていれば、きっと終わるに違いない。寒いだろうが仕方がない。
彼はもう何も言わずに作業に戻った。
そしてそれは丁度彼の思った通りになった。
日は完全に沈んでしまった頃、カマクラはようやく完成したのだ。
「かんせー!!」
彼はスコップを放り出して、入り心地を確かめた。
全身を突き刺すような冷たい風は遮れるし、何よりこの小山は保温性に優れており、とても暖かい。
彼はさっさと荷物を中にいれ、リュックサックの底にあったチョコレートを口に含んで自分で自分を祝った。
その傍らに佇む大木が、我が子の成長を見守る母のように、微笑んでいた。
彼は見上げる、気高き白い花を。
そして隣には妖精のような、澄んだ歌声。
そのどちらもが美しく、そして何物にも代えることなんてできなかった。
自分が家出をしてしまったことに気が付いたのはそれから三日後のことだった。
その間も、少年と大木の奇妙な共同生活は続いていたのだった。
そして詰められるだけ詰めてきた食糧も、すでに底を尽きかけてきていた。
「少し、家(うち)に戻ってくる」
頬をざらざらとした木の表皮に押し付けて、彼はそう呟いた。
木が寂しそうな表情(かお)をした気がした。
「すぐに戻ってくるよ」
彼はそう笑って、その場を離れた。
屋敷の裏手にある、食糧の貯蔵庫にこっそりと忍び込む。
出きる限り音を立てないように物色していると、上から声が降ってきた。
「みーつけた」
声と共に、天使が舞い落ちる。
彼はびっくりしながらも、慌てて体勢を整えると、その天使を両手でしっかりと受け止めた。
天使が落ちてきた時の衝撃で、床やらに薄く積もっていた埃が宙を舞う。
「な、何してるんですか!?」
彼は大きな声で怒鳴った。支えきれずについた尻餅が痛い。
「何って何よー。あたしは家出中の許嫁(フィアンセ)を探し出して捕まえただけじゃない!」
ティアより二歳も年下の天使は、いーっと歯を見せる。
「家出……」
そういえば、誰にも何も告げずに、すでに三日程外泊をしていた。世の中の人はおそらく、それを家出と呼ぶ。
「ティアのバカーっ。ろくでなし!あたしがこんなに心配してあげてるっていうのに!」
愛らしい天使はティアの腕の中……膝の上で暴れた。
「……す、すみません」
どうしていいのかわからないといった表情だったが、とりあえず謝ることにする。
「心がこもってないわ。許してあげないんだから!」
ラムアはぷいっとそっぽを向いてしまった。
だから少し考える。
「ラムア様は寒いのは平気ですか?」
こういう時の対処方は知っている。
「寒いの?」
「はい」
彼は表情を変えない。
ラムアは興味深そうにティアを振り返った。
「平気よ。ただし、いっぱい着ないといけないわ」
ラムアは胸を張る。
「俺はここで準備をしていますから、ラムア様も準備をしてきて下さい」
「準備……?」
彼は優しく微笑む。
「秘密の場所へ行きませんか?」
彼は膝の上のラムアの手を取って、恭(うやうや)しく口づける。
「勿論」
彼女は頬を紅潮させてそう言った。
あとがき
- 2012/05/07
- 改訂
若いっていいなぁ。 - 2005/10
- 今で五分の三くらい?
ラムア再登場!
実際にカマクラを作ってみたいな。