28章 綻びと架け橋 003

「げほっ……げほっ……」
 無数の埃を吸い込み、激しく咳き込む。
 その度にあばらが軋(きし)むように痛んだ。
 そこは闇が支配する空間であった。
 その無機質な空間にただ独り取り残されてしまったような不安と焦燥が、無意識の内に増してゆく。
「……ここ……は」
 どこだ……?
 眉根を寄せて、身体を起こそうとする。
「…………っ」
 だが、手に、力が入らない。
 どうしたことかと、慌てて確認しようとするが、周囲は真っ暗で、殆ど何も見えない。
「火は……」
 こんなところにあるはずが無い。
 頭を振って、そう思い直す。
 目以外なら使えるかもしれないと思い、目を閉じる。
 埃を吸ってしまうから、嗅覚はあまり使いたくなかったが、長年使われていないような黴臭さは自然と鼻につく。
 それから、耳を床につける。石造りの床は、ひんやりとしていて心地が良い。
 だが、音は無い。否、時折鼠か何かが走る音が聴こえはするが、それ以外には特に何も聴こえなかった。
 試しに軽く床を叩いてみたが、音は殆ど響かない。
「さて、どうしたものか」
 床に仰向けになり、そして手を上に伸ばす。
「…………っ」
 激痛が伴ったが、どうやら折れているのは左で、右は強い打撲だけらしい。これは不幸中の幸いか。おそらく、剣は扱えないだろうが、折れていないだけマシだ。
 その折れていない右手を使って、ゆっくり身体を起こす。
 暗闇に目が慣れてきたが、見える範囲には障害物などは見当たらない。
「……」
 ここがどこかは検討はつかなかったが、おそらく不測の事態には違いない。
 溜め息にも似た吐息を吐き出すと、右足を一歩踏み出した。
 取り合えず、歩くしか無さそうだ。

「アララ、失敗」
 女は、無関心にそう呟く。
「フフ、流石に逃げちゃうわよねぇ。オモシロイからいいんだけどぉ」
 くすくす笑って、石造りの壁をすり抜ける。
「でも、アタシから逃げられると思ったら大間違いヨネ」
 黒のマントが歩く度に、ひらりひらりとなびく。
 先のとんがった靴は、こつこつと、軽快な足音を連れて歩く。
 近く、喧騒が聴こえる。
「さて、この場合はどっちに付くべきなのかしらねぇ……。主サマは確か……」
 思い出して、顔を綻ばせる。
「あれは、 なかなかイイ男よねぇ……ふふ。アタシはどっちでもいいケドォ、……そうねぇ、主サマの顔を立てるなら、王女の方を追うのがダトウってとこかしらねん?」
 喧騒は、すぐ近くに迫っていた。
 最後の壁を摺(す)り抜け、女は嘲笑(わら)った。
「アハハ、イイ気味」
 その視界の先、ゴブラン織りの絨毯の上に転がっているのは、異端と呼ばれる姫君。異端と呼ばれる所以である色違いの瞳は閉じられていたが、身体の中の血液が不足しているのか、異端の王女……否、ロナの顔面は蒼白だ。
 今にも止まってしまいそうな浅い呼吸だけが、今現在、彼女が生きているという証か。
 兵士達が一定の距離を置いて控えていたが、その異相に怯えてか、それ以上の手出しを出来ずにいた。
「クダラなさ過ぎて、ホンットオモシロイわー」
 足元に落ちている小さな箱を、無造作に蹴り飛ばす。
 ケラケラ笑う声だけが耳鳴りのように響いた――

 そこは不思議な空間だった。
 ぼんやりとした薄明かりに照らされていて気味が悪い。もっと真っ白の、例えば雪景色なら綺麗なのにと思う。
 その空間はどこまでも続いており、終わりが見えない。
 水の中にいるような浮遊感と共に、ぼんやりとその流れに身を任せていた。
 そんなある時、ぼやけた視界の向こうに人影を見つけた。
 だが、うーんと手を伸ばしても届かない。
 呼び掛ければ、少しは近付けるかしらと思うのに、声は出ない。
 どうしたんだろうと考えるが、思考は曖昧で、上手く纏まらない。
 ふと気付けば、暗い道を歩いていた。
 真っ直ぐな道は、いつ終わるのだろうか。
 そんなこと、考える暇もなく、一心に歩き続けている自分がいた。
 耳元で、誰かが、疲れたでしょうと労いの言葉を掛ける。そして、別の方向から、止まればいいのにと聴こえた。
「ダメよ。歩かないと」
 無意識にそう答えると、どうして、と問う声が返ってくる 。
「だって私はまだ追いついていないんだもの」
 答えた瞬間、疑問が湧き上がる。このまま進んだところで、何に追いつくというのか。
 では、走らないのは何故?
 耳元で囁かれる声は、物語の中の妖精の声のように可愛らしかったが、何となく、自分の声に似ているなと感じる。
「追い越してしまわないように…………」
 ふっと意識が途切れる。
 眠るのはいいの?
「え……」 
 その言葉に反応したのか、急激に、意識が覚醒する。
「ダメ……早く起きないと……」
 気を失うまでの光景がフラッシュバックする。
 弓を構えた兵士の顔が。
 腹に感じた灼熱を。
 そして、最後に見た、彼の顔を。

あとがき

2011年07月29日
改訂。
中々上手くまとまらない……。
2006年08月29日
初筆。

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