9章 さようなら 004

 そしてようやく、彼は一番大切なことに気が付いた。
 先程、力無くティアの名を呼んでくれた彼女は今、息をしていなかったのだ。
 それに気付くのが遅れたのは、絶対的な過ちだった。
「リネっ……リネっ……リネっ……!」
 いくら強く揺すっても、どんなに大きな声で呼んでも無駄だった。
「リネ……っ」
 どうすればいい? どうすれば……。
 彼女の胸に自分の耳を押し当てて、心音の音を確認する。
「……っ」
 早く、どうにかしないと。
 必死に考えを巡らせて、昔に父親に教えてもらった緊急時の応急手当てを思い出す。
 患者の胸に両手を当てて、心臓のリズムに合わせて何度も押す。そうすれば心臓は元の鼓動を取り戻す、と。
 ティアは教わった通りにリネの胸に手を当てる。
 そっとだ。けれども、力強く、心臓マッサージを施す。
 生きて――
 ただひたすらに願った。
「リネ……」
 もう一度笑って欲しい。
 彼女を傷つけた俺を許さなくていいから、もう一度起きて、怒ってくれるといい。
「リネっ……」
 希望よ、祈りよ届け。
 深呼吸をしてそっと心臓(いのち)に耳を押しつける。

 蝶のように、鳥のように、華麗に、軽やかに彼らは舞う。
 そしてその身に纏った衣装が、鮮やかに彩りを加えてゆく。

 これは料理で言う、前菜――メインとなる晴れ舞台の準備運動のようなものだ。
 奏でられていた音楽が突然止まる。それは予め定められていたのか。
「ルゥさま」
 お客様は神様です、の合言葉と共に、この一座は創立以来歩んできた。だから例え昨日まで団員であった者に対しても、それは変わらない。
「そして彼を受け入れて下さったお仲間の方に、今日は心よりのおもてなしをさせて頂きたいと思います」
 ルゥのお世話役であったアリザが優雅に微笑む。
「アリザ……ねぇちゃん……」
 昨日の朝まではいつものように迷惑をかけて、そして怒られて……。たった一日しか経っていないのに恋しくて、心が痛んだ。
 そして本日はルゥとその仲間達のためだけの公演で、観客席はルゥ達が貸し切り状態だった。
「ごゆるりとお楽しみ下さい」
 そしてメインデイッシュの時間がやってくる。
 新作の歌劇として、今は未公開で練習中だったそれが始まる。
 とある国の国王が正妃にと望んだ女は、何の地位もない田舎の娘。彼女は、周囲の反対を押し切り、まだ少女の内に、王家へと嫁いだ。
 正妃となった彼女だったが、第二妃を中心に城の者達から嫉まれ、疎まれ、そして迫害を受ける。その事実を王妃は自分の胸の内に仕舞い続けていだが、ある年、正妃が病に倒れ、王は初めてその事実を知る。
 ――どうして、どうしてわたくしがあんな女にっ。
 ――私は……この国を統べる王のご意思で王妃の座(ここ)にいるのです。貴女方にそれを害される理由はないはずです。
 さて、正妃の産んだ子は三人。七番目と十三番目の王女。そして、亡くなる間際に産まれたのが待望の第一王子だった。
 その王子は当然、城の者達にとって邪魔な存在になった。王妃の死因を知った王は、息子への危害を危惧し、自分の、最も信頼のおける有能な弟に息子を託した。弟は王子を農家に。
 王子は預けられた農家で平穏に暮らしていた。だが、ある時国からの迎えが来る。迎えの者が言ったのはたった一言。
 ――貴方を王に。我等に力を。
 その頃、国は戦火に包まれていた。王子は、その混乱を収め、民衆を統べる為の旗印であらねばならなかった。
 彼はお世話になった人達にお礼を言って、そして兵を挙げた。
 大切なものを守るために――
 その歌劇の中で、ルゥは、主役の王子役を任されていた。
「嘘……っ」
 ルゥはそれだけを呟いて、言葉を失い佇(たたず)む。
 昨日の朝まではとても、人に……客に見せられる状態ではなかった。
 ……なのに。
 今ルゥの目の前にいる人達は、それぞれの役を完璧にこなしていた。
 そして話が進むにつれ、ロナは驚きに目をみはる。
「どう……して」
 そして声にならない声で呟く。
 ――儂の可愛い息子よ……どうかお前だけは……お前の姉君達は儂が守る……だから。
 ルゥが演じるはずであった王子の役は、歳が近く、一番仲の良かったラアナが演じていた。
 勿論、公演は大成功だった。
「るぅ……さま……ぁ……今日は……御足労……ありがとう……ございました……」
 アリザがそう言い切ると、他の団員達と共に深くお辞儀をする。
 そして各々が定められた役割をこなした後、まるで雪崩のように、彼らは昨日まで仲間だった者を囲んだ。
「……るぅ」
 いっちゃやだよぉ……。
 本心からそう望んでも、決して口に出してはいけない。
 そんな言葉は、別れが辛くなるだけで、誰にも利益をもたらさないのだ。
「みん……な……素敵だったよ……とても上手だった」
 寂しい気持ちは、ルゥも同じだった。
 だから必死に涙を堪えた。
「団長がね……ルゥの為にって……昨日は朝の公演だけになったの」
 その団長の姿は見えなかったが。
「それで、いっぱい練習して……」
 みんなを悲しくさせてはいけない。そして何より、自分も悲しくなってはいけない。だが。
「ごめんなさい……」
 疑ってた。
「疑って……ごめんなさい」
 自分だけの為に、こんな素敵な公演をしてくれたのに、自分はいらない子だ、僕はそう思われてるんだって思ってた。
 この歌劇にしたって、主役候補だと思っていた子が怪我をしたから、仕方なくボクに回って来たんだと思ってた。
 みんなは、ボクがバカなこと考えてる間に、必死に練習していたんだよね。
「ルゥの……バーカ」
 ラアナがぺろりと舌を出す。
「こんなことで泣いて……ルゥはお子ちゃまなんだから」
 彼女はまだ王子様の格好をしていた。肩までの茶髪を一本に纏めた姿は、何だか男前だった。
「ボクは……っ、お子ちゃまじゃないもんっ」
 ぷぅーっと頬を膨らませてそう言ったら、みんなにけらけら笑われた。
「ホンット、お子ちゃまっ」
 そしてルゥは頬に温かくて、何だか柔らかい感触を感じた。
「……!?」
 それは一瞬のことだったが、突然の出来事に、周囲は大盛り上がりで、ヒューヒューと口笛を吹いて囃(はや)し立てる。
「もしもルゥがここに帰って来ないって言っても、……私が、ラアナがルゥを迎えに行くんだから! だからもっと大人になりなさいよ?」
 ねっ? と目で訊ねられて、ルゥは勢いに任せて頷いた。
 頬がきっと赤くなっている。そして、もう涙は止まってしまったに違いない。
「……ありがと」
 その声は周りの音に紛れてしまったが、ラアナの耳にだけははっきりと聴こえた。

あとがき

2011年05月25日
改訂。
2005年10月28日
初筆。

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