幸せだったあの頃
あれは、視界一面の銀世界がとても美しい日のことだった―――
「寒……っ」
はぁ、と白い息と共に思わず愚痴が漏れる。首に巻いた襟巻きを上に上げて、空を仰ぎ見る。
「また降ってきた……」
黒い雲から、白い贈り物が降って来る様は美しいが、こうずっと続くと、もう正直、うんざりしたような声しか出ない。
少年は、ぶるっと一度震えてから雪の道を駆け出した。
その年は花が咲かなかった―――
少年の家の近くの、少し奥まったところに一本の大きな木があった。その木は、毎年この寒い時期に花を咲かせ、幼心に綺麗だと思った。
だが、その花が今年は未だに咲いていなかった。
「どうして咲かないんだよ!」
少年は足元にあった雪を蹴り上げた。大木の幹にどさりと雪の塊が当たって、無惨に砕ける。
咲くのは辺りに積もっている雪と同じく、真っ白な雪のような花だ。
「楽しみにしていたのに……」
ぽろりと本音が溢(こぼ)れた。
「……帰ろ」
誰に言うでもなく、そう呟いてから少年はその場を後にした。
そこには、雪を被った大木だけがそこにぽつりと取り残されていた。
「ティアは、どの季節が一番好き?」
溌剌(はつらつ)とした可愛らしい声が、広い屋敷内に響いた。
「季節、ですか……?」
「うん! あたしは、えっと……春かなぁ? 綺麗なお花がいっぱい咲くの。それからぁ……ポカポカしていて、お昼寝が気持ちいいの」
あどけない顔立ちの少女は本当に幸せそうな顔で、春に思いを馳せていた。
「私は教えたんだから、ティアも教えて?」
少女はベットの上でうつ伏せになり、腕を立てて、その上に顎を乗せる。
「俺は……」
どの季節が好きなんだろう、そう考えようとして思い出したのは、今年咲かない白い花。
なぜだろう、急にあの花が恋しくなった。
いつか、もう死んでしまった祖母が教えてくれた。
この花はね、お前が産まれた日にね、とてもたくさんの花を咲かせて祝ってくれたんだよ、と。
それを聞いた時、とても嬉しくて、誇らしい気分になった。
「……」
それがとても懐かしい。
そして彼は、ふと心を決めた。
「すみませんラムア様。少し……席を外しても構いませんか?」
少年の黒い瞳は真剣だった。
「え? えぇ……?」
一応許しを貰う形でティアは退室する。
少女は戸惑っていたが、少年は何故だか必死だった。
ここへ来るまで着込んでいたコートやらを引っかけるようにして羽織り、家(うち)へと急ぐ。
リュックに保存食やら酒やらを、めいいっぱい詰め込んで、そして着れるだけの服を着込む。
手には毛布を数枚掴み、少年は今にもごろんごろんと転がり出しそうな達磨みたいな格好で、家を飛び出した。
そして彼は見慣れた大木を見上げる。
雪は被っているが、枝の尖端(せんたん)までよく見えた。だが、やはり花は一つも無い。
「咲いてくれよ……?」
まるで木に話し掛けるように呟いてから、彼は荷物を置いて、出掛(でが)けに掻っ払ってきたスコップで雪を掘る。
否、少年はは山を作っていた。しかし雪は見た目と違って結構重いので、小さな山を作るだけでもかなりの重労働で、体力を消耗する。
「はぁ……っ……はぁっ……」
額には汗が浮き、前髪が張り付いていた。
何時間その作業を続けていただろうか、気付いたときには日が傾きかかっていた。
「ヤバ……」
彼は慌ててスコップを握り変えて、それなりに高くなった雪山に対峙する。
「……っ……」
だがそれも束の間のことで、彼は手を押さえて蹲(うずくま)った。離したスコップの柄には赤く血が滲んでいた。
そういえば邪魔だからと思って、手袋をはめずに長時間雪と格闘したのだった。
手はかじかみ、そして豆が潰れて血が出ていた。
熱い湯と清潔な包帯が恋しくなったが、今更帰るわけにはいかない。
彼は家から持ってきた荷物を探り、どうにか包帯を見付け出す。
何かの時の為にと、入れておいたのが役に立った。
「痛い……よな?」
ついでに水筒の蓋を開けて、血だらけの掌(てのひら)を水で洗った。水は氷のように手に突き刺さるように流れ、傷口にはかなり堪(こた)えた。
彼は声にならない声を上げて、だがしかし唇から血が出そうなくらい歯を食いしばって耐えた。そしてテキパキと包帯を慣れた手付きで巻いたが、どうにも巻き方は荒く、はっきり言って下手糞である。
「完成……!」
彼は疲弊しきってそう言うと、今度は手袋を嵌めて作業を再開する。手を動かす度に、ずきずきと傷口が痛んだが仕方がない。
彼は、先程作った山をスコップの背で叩いて、固めていく。
だがきっと今日中に、目的のものは完成しない。
はぁ、と一息ついて、雪山の隣に開いた穴に目を遣る。
今日はこっちで寝よう。
そう考えてから彼はスコップをその場に突き立てて、座り込む。と同時に腹の虫が盛大に鳴いた。
そういえば今日はろくに昼食も食べていなかった。
そろそろ腹が限界で、座ったことで溜っていた疲れがどっと出た。
彼は再び荷物を探り、そして酒瓶を取り出してそれを煽(あお)った。
途端に、かぁっと身体が熱くなる。
それは、きつい酒だった。
「げほっげほっ……」
彼はむせて、涙目になってしまう。
喉が爛(ただ)れてしまったようにひりひりと痛む。
「やっぱり……お酒はまだ早いか……」
彼は酒瓶に栓をして、リュックサックにしまい込んでしまう。代わりに干し肉を取り出して口に入れる。
一噛みするごとに味が染み出てきて、美味しい。
それを幾つか食べて、今日の夕食とする。
「旨かった……」
今は、どんな痛みすらも感じなかった。
彼は荷物を穴の底に入れて、それから毛布と一緒にそこに入った。
まだ宵闇で、薄い藍色の空だったが気にしない。
彼はその空を、否、花の咲かない大木を見上げてこう言った。
「おやすみなさい」
目を閉じてしまえばこちらのものだ。
彼は雪の中で、さっさと眠りに就いてしまったのだった。
あとがき
- 2012/04/26
- 改訂
- 2011/03/27
- 改訂
- 2005/11
- 短編なのに長いです。
何か昔のティアはティアじゃない気がするよ……。
時期的にラムアとティアしか出ないよ。
ティアは多分酒に弱い。(そんな設定が昔あったような……)
逆にラムアは強そう。
後、サーファとかルイザとかも強いだろうな。ロナは弱いと思うな。
ちなみにティアは知らず知らずの内に家出してるんだよなぁ……。何だか大馬鹿者だ。
まだまだ続きます。