お兄ちゃん
「……お兄ちゃん」
昔のことを思い返してみるが、思い出すのは歳離れた兄のことばかりだ。
どこに行くにも、兄の後ろをついて行き、よく兄を困らせていた。
当時、困らせている自覚は全くなかったのだけれど、やはり兄は困っていたのだと思う。
――だから、僕から離れてしまったのだろう。
お兄ちゃんと僕はとても似ていた。
歳は少し離れていたのだけれど、当時の兄は背が低く、僕は背が高い方だったので、横に並ぶとまるで双子のようだった。
僕は兄と似ていると言われる度に嬉しかったのだが、兄はいつも嫌そうな顔をしていた。
僕はある日、思い切って訊いてみた。
「僕のこと……嫌い?」
兄はあからさまに不機嫌になって、こう言った。
「家族なんだから、嫌いな訳がないだろう?」
言葉ではそう言ってはいるものの、絶対にそう思っていない。
「じゃあ……僕のこと、好き?」
「何度も言わせるな。家族なんだか」
「……もういい」
僕が欲しいのは、そんな不機嫌そうな表情で、言って欲しい言葉ではない。
続きを聞きたくなくて、僕は部屋を飛び出した。
「お兄ちゃんの……馬鹿」
酷いことを言われた訳ではない。
ただ、淡々と当たり障りのない言葉を並べられただけだ。
瞬きをしたら、頬に冷たい感触を感じて、そっと触れてみる。
手に水分を感じて、ようやく自分が泣いていることに気付いた。
抑えきれない感情があったわけではない。
ただ、涙がポタポタと静かに地面を濡らしていく。
何がいけないんだろうか?
知らない間に何かしてしまっただろうか。
もしかして、前に隣に寝ていた時に、寝相が悪くて顔面を蹴飛ばしてしまったからだろうか?
もしくは、この間の夕飯のおかずを兄の分まで食べてしまったからだろうか。
だが、いずれも自分悪かったと思って、後できちんと謝ったはずだ。
「なんだよ、もう」
そんな小さなことで怒らなくたっていいのに。
悪気があったわけではなく、つい、うっかりだ。
「お兄ちゃんの馬鹿!」
今度は叫んだ。
「誰が馬鹿だって?」
「う、え」
急に背後から声が聞こえて、焦る。
「な、なななななんでいるの!」
上手く言葉にならない。
「馬鹿でかい声が聞こえたからね」
「な」
「ほら」
ばさりと顔面に布を投げつけられる。
「何だよこれ」
「鏡でも見てきた方がいいんじゃないのか」
「う……」
頭に被った布で顔をゴシゴシと強く擦った。
「そんなにきつく拭くものじゃないよ」
手を重ね、そっと撫でるように優しく動かす。
兄は優しい。ご飯を横取りした時も、寝相が悪くて顔面を蹴ったときも、別段怒ったりはしなかった。
僕は素直じゃなくて、謝ったのは次の日になったからだったけれど。
「馬鹿って言って、ごめんなさい……」
兄の手は温かかった。
布で顔が隠れていてよかった。でないと、きっと謝れないだろう。
少しだけ笑ったような気配がした。
「馬鹿っていう方が馬鹿というものだよ」
ポンポンと頭を叩かれる。
僕は堪えきれずに、兄に抱きついた。
「お兄ちゃん大好き」
兄は嫌そうに身体をよじる。
「顔を洗ってきなさい」
「はーい」
僕は兄が大好き、だった。
兄が僕のことをどう思っていようと、僕は兄のことが大好きだったのだ。
「会いたい……な」
それが今の僕の、たった一つの願いであり、目的で、存在意義であった。
あとがき
- 2011/04/24
- 誰のことかは言わないでおこうと思う。
この2人はすごく書きたいけど、存在そのものがネタバレすぎる……。