19章 兄妹 003

 こつこつと長い廊下を歩く足音がする。
 幸い、白骨化した死体はなかったが、鉄錆びた臭いが鼻を突く。
 壁も床も、未だに紅(くれない)を吸って、そのままであった。
 足音は、止まることなく、こつこつと一定の速度で続いている。
 その足音の主が向かっているのはある、一つの部屋。
 ――ふと、足音が止む。
 ガチャリと扉を開ける音がして、そして部屋の中に入っていく。
 そこは、広い部屋だった。
 女の子らしい調度を揃えた部屋は、数刻前まで、部屋の主がいたように綺麗だった。
 だが、それは所詮見せかけだ。その部屋は、主のいない三年間のうちに、すっかり埃を被ってしまっていた。
「ラムア……様」
 足音の主は、そっと呟いた。
 ここに来るのは本当に久しぶりだった。
 血にまみれたこの部屋を、元のようにと戻したのはティア、そしてリネ――ルイザだ。
 あの日の痕跡が、血痕さえなければ、元通りになると、――ラムアの笑顔を見れると思っていた。
 そうでなければ心が、壊れてしまいそうだった。
 だが、いくら綺麗にしても、その願いが叶うことはなかった、はずだった。
 服越しに、首から下げた宝物を握る。
 あの日、気付いたら握っていたのだ。
 誰がくれたのか、それは分からない。
 だけどこれがあると、何故だか凄く安心する。
「――……さま」
 かすれたように呟く。
 そして顔を上げた。
「……ロナ様」
 ここに来たのは感傷に浸る為なんかじゃない。
 用があるのは、この奥の隠し部屋だ。
 昔、遊んでいるときにラムアが見付けた部屋は、二人の秘密基地だった。そして、ラムアは宝物をよくここに隠していた。
 一歩ずつ奥の壁に近付く。
「……ティア」
 澄んだ声が聴こえたのは、ティアの後ろ、即ち、廊下からである。
 振り返って、声の主に敬意を払う。
「ラムア様」
 そこにいたのは、この部屋の主である。ずっと失ったと思っていた、婚約者。
「……どう、しましたか?」
 殺されたはずだった彼女は、三年の時を経て、再び彼の前に現れた。
「王女様に会う前に……一つだけ」
 不安で不安で仕方がない。
 王女様はやっぱり素敵な人なのだろうか。
「私は……ティアの何?」
 こくりと息を呑む。
 これは昔から、ラムアがよくしていた質問だ。
 ティアが頬を赤らめて、婚約者だと言うと、ラムアは嬉しそうに笑ってくれた。
「俺が忠誠を誓った主であり、俺の婚約者です」
 ティアは、躊躇(ためら)うことなく答えた。
「……その言葉、本当だからね」
 ラムアは綺麗に笑った。
 その裏に、悲痛な想いが隠れているだなんて、ティアは思いもしない。
「勿論ですよ」
 そう言ってから彼は、暖炉横にある仕掛けを外していく。
 この部屋で彼女と一緒にいるのは、何だか昔に戻ったみたいだ。
 カチャリと音がして、鍵が開く。
 扉を開けるのは、壁の煉瓦を一つ外してからである。
 テキパキと、作業を進める後ろ姿を、ラムアは黙って見つめていた。幼い頃と何ら変わらない後ろ姿に見ていると少し安心する。
 そして、その隠し扉が開けられたのは、すぐだった。
「ロナ様……?」
 隠し部屋には灯りがともされている。
「……ティア!」
 それは、ラムアの澄んだ声とは少し違う、可憐な声だった。
 ずしりと、心に枷がついたようだ。
 王女様はすぐにティアに駆け寄って、飛び付く。
 ラムアはぎゅっと、唇を引き結んだ。
 まさか来てくれるとは思わなかった。
 懐かしい匂いに、胸がいっぱいになる。
「ご無事ですか……?」
 ティアはロナの身体を丁重に引き剥がし、そして問う。
「ええ、勿論よ」
 凄く 、逢いたかった。
 前と変わらぬ事務的口調は耳に心地良い。
 そしてティアは、ロナの前に膝をつく。
「護衛の任を、全(まっとう)出来ず、大変申し訳ありませんでした」
 ティアが深く頭を垂れる。
「処遇については、何なりと。俺は、如何なる処罰であっても受け入れる覚悟です」
 ただ、びっくりした。
「罰!?」
「はい」
 ティアは真剣だ。
「そんなことする筈が無いわ。ティアがここに来てくれただけで凄く嬉しいのに」
 言ってから、視界の端に金の頭を捉えた。ドクリと心臓が脈打つ。
「ですが……」
 渋るティアを立たせて、ラムアは問う。
「……あちらは?」
 一抹の不安が過(よ)ぎる。
 そこにいるのは凄く綺麗な女の人だ。
 背は高くないが、整った容姿で、自分と同じ金色の髪は腰まである。
 そして、印象的なのが、左目を隠す包帯だ。思わず、その片方だけ覗くエメラルドの瞳に魅入ってしまう。
「あの方は」
 ティアの声が遠い。
 前に聞いた、サーファの声が鮮明に蘇る。
 あの青年は婚約者と幸せに、と。
「俺の本来の主である、ラムア・ゼアノス様です」
「本来の、あるじ……」
 強い意思を秘めた緑の瞳に、赤と青の二色の視線が絡む。
「初めまして、王女様。ラムア・ゼアノスと申します」
 ラムアが優雅に頭を垂れる。
 長い金色の髪が肩から滑り落ちた。
 ティアは婚約者と幸せに―――……
「は、初めまして」
 動揺を隠すように、微笑みを作る。
「アリアス国第六王女、ロナ・デモート・アリアスと申します」
 この人が、ティアの婚約者……。
 ずきずきと胸が痛む。
 ロナも宮廷作法を思い出して礼をした。
「そうだわ。私、用事が色々ありますの。申し訳ありませんが、失礼させて頂きます」
 初対面の挨拶もそこそこに、ロナは退室を申し出る。
 聴き慣れないロナの敬語は、どこか耳に違和感が残る。
「ティアも私のことはいいから、ゆっくり休んで。ラムア様も、お休み下さいね」
「お心遣い感謝しますわ、殿下」
 ラムアもロナも、凄く他人行儀だった。
 ロナは軽く頭を下げてから、二人に背を向けた。
 この場所には長く、いたくなかった―――

あとがき

2011年06月30日
改訂。
2006年04月16日
初筆。
お嬢様方の対面。ムードは険悪。

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