幸せだったあの頃 004

 ――やだ、ティア、ティア、ティア……!
 ラムアは、恐慌状態に陥る。
 その時、男達の背後で、ざくりと雪を踏む音がし、振り返る。
「ほら、俺らの仲間が帰ってき……」
 男の言葉は途中で途切れ、不審に思ったラムアは顔を上げる。
 その、視線が外せない。
 彼は気高く、妖艶でもあった。紅(くれない)に色どられ、彼はその場の支配者であった。
「馬鹿な……」
「……ラムア様を、返せ!」
 少年の唇がそう綴った。
「ティアっ!」
 少しだけ緩んだ手の間からそう叫ぶ。
 だが、我に返った、髭もじゃ男は再度彼女の喉元には白刃を突きつける。
「押さえていろ。あの子供は、私が相手をしよう」
 二人組の、一番の切れ者そうな男が二本、剣を抜く。
「ラムア様を離せ」
 低く、唸るような声で言った。
 男は答えず、大地を蹴る。と、同時に鋼のぶつかる音。
「……っ」
 ティアは、小さな身体で、男の懐に入る。
 体力、威力共に、子供と大人では格段に違う。それを機敏な動きで補わねばならない。
 だから力に任せて薙(な)ぎ払うのではなく、急所を一突きにしようとする。
 横髪を伝って汗が落ちた。
「子供だと見くびっていたが、中々の腕前だ」
 相手は二本の長剣を自分の腕のように操り、ティアの剣を払う。
「少し、殺してしまうのが惜しいな」
 鋭い突きを重ねる。
 黒い髪が一房切れて、息を呑む。
 男は強い。
 それに、厚着をしているので、動き辛い。
「……はあっ」
 掛け声と共に間合いを取る。
「そろそろ終わりにしようか?」
 男が再度、懐に飛び込む。
 ティアは、身をよじって左手で顔面を庇う。
 だが、反応が一瞬遅れ、鮮血が舞う。
「……っ」
 痛みに顔をしかめたが、声には出さない。
 男が柔らかく笑む。
「うわぁぁっ……!」
 その時、男の背後で声が聴こえた。それも、ラムアではなく、野太いおっさんの声が。
「テメェっ……!」
 一瞬だけ、男の集中力が途切れる。
 そこに隙が出来る。
「はあっ!」
 左腕を負傷を代償に得た、この距離は絶好の機会(チャンス)であった。
 渾身の力を振り絞り、心の臓を一突きにする。
「馬鹿なっ……!」
 ティアは素早くそれを抜いて、次の攻撃に備える。
 だが男は膝から崩れ落ち、そして剣を取り落とす。
「……感服に……値(あたい)する……よ」
 男はそう呟いてから雪の中に紅く、臥した。
「何するのよ!!」
 雪の中、バチンと高い音が響く。
「テメェが暴れるからあっしがおとなしくさせようとしただけだろうが!」
「今、女の子の胸を触ったでしょう!」
 きゃーロリコンの変態、と叫ぶ声も聴こえる。
「誰がだ! あっしにそんな趣味は……ない」
「何よ! 今の間!」
「第一、お前があっしの腕を噛むからだなあ……!」
 そして気付く。
 近づいてくる、黒髪を紅く染めた少年に。
 その足元には、リーダーの身体が横たわっていた。
「ラムア……様」
 血で、髪が首筋に張り付くのが気持ち悪い。
「ティアっ……!」
 彼女は、男の腕から抜け出し、ティアの胸に飛び込んだ。
 ――こんなガキに、リーダーが?
 驚き、そして怒りと共に、畏怖が沸き上がる。
「ティア……」
 ラムアは血など気にせず、ティアに頬を摺(す)り寄せる。
 お互いの体温が触れ合うだけで、とても安心する。
「まだ、です」
 少年がラムアを引き剥がし、残った男に視線を向けた。
「なに……を」
 身体が竦む。少年の瞳は、ありとあらゆる物を吸い込んでしまいそうなほど深い暗闇だった。
 少年がカチャリと得物を構える。
「さようなら」
 寒さで紫がかった唇がそう綴り、少年は何の躊躇いもなく、男の喉元を掻き斬る。その一連の動作は一瞬で、まるで、殺戮を目的とした人形のように――少年は人を殺めた。

 

「ふぇっ……てぃぁ……」
 すぐ後ろで声が聴こえた。
「うわぁーん」
 ラムアが泣く。
 ティアが彼女を振り返ろうとして、膝から力が抜けた。地面に腕をついて、身体を支えた。
「てぃぁ……」
 彼女も雪の上に座って、そしてティアに手を伸ばす。ティアはそれを受け入れて問う。
「大丈夫……ですか?」
「てぃあ……」
 ぐすぐすと、ラムアは泣き続ける。
 ティアはラムアの頬についた血を人差し指で拭う。それは生暖かく、ぬめりとした感触であった。
「すみません。……俺が頼りなくて。こんなところに連れて来なければ……」
 一言ずつ噛み締めるように言う。
 だが、ラムアは泣き止まない。泣きながら、言う。
「ちがう……たしは、謝ってほし……んじゃない……」
 ティアはその涙をも拭う。
「あたしは……ただ、怖かった。あなたが、人形のように……その、兵器になってしまうことが」
 ラムアは、ずずっと鼻水をすすって、言葉を続ける。
「あなたは、人を……」
「殺した」
 二人の声が被る。
「あなたが、心を失ってしまうんじゃないかって、あたしは、それが怖かった」
 いつしか、涙は収まっていた。
「そしてあたしが……それを促してしまったことが悲しくて……同時に悔しかった」
 彼女はティアの首筋に顔を埋める。
 誰も、何も言えない。
「ごめんなさい」
 長い沈黙の後、どちらの声だか小さく呟いて、風に紛れて消えた。

 

 一体、どれ程の時間が経ったのだろう。
 彼女は彼を雪の上に押し倒す。そして彼の唇にキスを落とした。
 初めは触れるだけだったが、彼は彼女を受け入れる。
 そうしていることほど、今は安心出来るものは無かった―――

 

 気付いた時、再び雪が降り出していた。
「雪……」
 今、二人は隣に並んで横になり、白い絨毯の上で、厚い雲の層を見上げていた。
 灰色の雲から降ってくる雪も灰色で、積もる雪がどうして白いのか不思議だった。
「雪ってね、ホントは埃なんだって……お父様が言ってたわ」
 それに答える声は無い。
「こんなにキレイなのに……」
 雪は埃。
「……キレイなのにね」
 白い大地は、しんと静まりかえっていた――

あとがき

2012/05/10
改訂
とても長いな……。
2005/10
まだまだ続く……。
短編のつもりだったのにな。

ラムア大胆(苦笑)
約八年程前だから、まだ一桁……(笑)
でも、それ以上のことはしてないしぃー。(言い訳&遠い目で)

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