35章 異端の王女 003
少女は豪奢な服を纏った、背の高い男の腕に抱かれ、眼下に広がる景色に瞳を輝かせる。
「これが、お父さまのお国?」
小高い丘から見下ろすと、たくさんの石造りの建物が並んでいるのがよく見えた。
「あぁ、そうだ」
少しだけ誇らしそうに、男は頷いた。
この場所までは馬を使えば小一時間ほどで来れる距離ではあったのだが、多忙な身であるが為に、頻繁に訪れることは出来ない。
時折、城を抜け出し、こうして少しの間、この場所でのんびりとするのが好きだった。
そこに、娘を初めて連れて来た。
「す、すっごく大きいの……!」
少女は興奮した面持ちで、感想を述べる。
「ここから見えない場所も全て、お父様の国よ」
傍らに立つ女がそう言って、少女の頭を撫でる。
「ふええー!! すごい!!」
少女は本当に驚いた顔で、周りを見渡す。
この娘はあまり外の世界を見たことが無いのだ。驚くのも無理は無いだろう。
朽ちた古代の建物が並ぶその場所は、とても静かだった。
少し離れた所に乗ってきた馬がいる他は、誰もいない。
時折、鳥の鳴く声や風が茂みを揺らす音に混じって、少女の歓声が響くのみだ。
今日は供の者を振り切り、本当に三人だけでかこまでやって来たのだ。
女は、少女を抱く手とは反対側に回りこみ、男に少し体重を預ける。
「今度、ロナを……お披露目するのですわよね……?」
女は視線を不自然に外したまま、そう呟く。
男は黙り込み、少女を抱く手に少しだけ力を込める。
「次の議会で……国内の主要貴族が集まる」
それは腹から絞り出すような低い声だった。
「そう……なんですの」
女は顔を伏せ、思案する。
「……私(わたくし)の時以上、でしょうね」
女の言葉数は少なかったが、男には彼女が言わんとすることがきちんと伝わったようで、その青い瞳を伏せ、溜め息混じりに呟いた。
「……そうだろうな」
その言葉を聞いて、女は何も言えずに、その場に座り込む。
二人にとっては長く感じられる時間――それ以外の者にとってはそう長くはない時間、彼女は立ち上がれずにいた。
それに気付いた少女は大慌てで、地面に降ろしてくれるように頼む。
そして、母の元へと数歩駆け寄り、勢いに任せて母に抱きついた。
「お母様はどうしちゃったの?」
その腕の中で上目遣いに、母を見つめる。
「平気よ、ロナ」
女は少しの間、娘を優しく抱き締めると、すぐに身体を離して、自分の前に立たせる。
「?」
「これから貴方には色々な事が起こるでしょう。けれど……貴女は何も心配しなくていいの」
肩を両手で掴み、娘ではなく、自分自身に言い聞かせるようにして、言葉を重ねる。
「貴女はお母様とお父様が護るから。だから何も心配しなくて……」
だが急に、視界がぶれ、ずっと見つめていた母の紅い瞳は視界の端に消え、次に見たのは、父の蒼い瞳だだった。
「お母様は」
驚いて問いただそうとした少女を抱く、その両腕から、微かに震えが伝わってきて、思わず少女は口を閉ざした。
「少しだけ、お前には辛いことや寂しい思いをさせたりもするだろう。だが、これだけは覚えておいて欲しい」
父の声に、少し力が入ったように感じる。
「お父様もお母様も、お前のことが大好きだ。ロナ……否、ロナ・デモート・アリアス」
アリアスは父の姓で、デモートは母の姓だ。
その大好きな二人の名前で呼ばれて、ロナは嬉しくなって笑う。
「わたしも、お父様とお母様が大好きです」
それは、とびっきりの笑顔で、両親ははっとして顔を見合わせた。
何を、不安に思っていたのだろう。
この笑顔を護る為なら、何だって出来るだろう。否、何だってしてみせる。
だって、この子は二人の大切な宝物なのだから――
そして、数日後、娘――ロナ・デモート・アリアスは、異端の王女と呼ばれるようになったのだ。
あとがき
- 2013年06月26日
- 初筆。
「異端の王女」の始まり。