19章 兄妹 001

 その頃ルイザは木に寄りかかって、茫としていた。
 目的の為とはいえ、僕に騙されたことを知らないでいる彼女を見るのが少し辛い。
「ルイ……ザ」
 違う。
 名前……。
 僕はルイザなんかじやない。
 本当は。
 深く深く思考の底に沈んでいく。だから、不意に聴こえてきた呼び掛けにも反応できなかった。
「ルディシア」
 そう、そんな名前だった時もあった……。
 あれはいつだったか。
「ルディ」
 そう、普段感情なんて出さない兄にはそう呼ばれていた。
 懐かしい。
 とても。
「ルディ!」
「……え?」
 声が奇妙なくらい鮮明で、思わず顔を上げた。
 そこにいたのは、斑の髪の男。
「に……ぃ……さん?」
 言葉が、上手く声になったかは分からない。
 だけど。
 そこで初めて金の長い髪が視界に入る。
「貴方に……会わせろって……」
 会いたかった。
 だけど……。
「何故……?」
 今までだって機会(チャンス)はあったはずだ。
 なのに今更――
 紅と黒の視線が絡む。
 兄が前に進み出た。
 バシンッ。
「……っ」
 刹那、思いっ切り頬をはたかれる。
 それは、情けも容赦も一切なくて、その勢いでルイザは地に伏す。
「サーファ!」
「お前にかける言葉など無い」
 ラムアが驚いて叫んだが、そんなことに気付いてないかのように、サーファは冷たく突き放す。
 見上げた瞳は、兄から反らせない。
「……っ」
 言いたい言葉はいっぱいあったはずなのに、何も言えずに、その全てを飲み込んでしまう。
 悔しい。
 認めて貰えない自分が嫌だった。
 暫く見下ろされた後、再び兄が口を開いた。
「……転移を行う」
「……え?」
 ラムアもルイザも同時に訊き返す。
 すぐ近くで、ティアもルゥも眠っている。
「僕に二度も言わせる気かい」
 紅い瞳が向けられて、二人は一斉に首を振る。
「ならいい。今から、ここにいる全員を移動させる」
 そんな無茶な。
 転移の魔法を使えるのは二人。ここにいるのは、全部で五人だ。
「どこに、行くの……?」
 ラムアの問いに、提案者が答えを与える。
「君の故郷に」
 その声音は、意外と優しかった。
「シディアに……?」
「そうだよ、僕の姫」
「何をしに……?」
「秘密だね。お前に言う必要は無い」
 妹には何と冷たいのだろう。
「…………っ」
 坑うことができずに、言葉を詰まらせる。
「そんなの……出来るの?」
 ただ、これだけは訊いておかねばならない。
「出来るのではなくて、する。僕にとっては造作もないことだが」
 はん、と鼻を鳴らして兄は言う。
 その自信は一体どこから出てくるのだろう。
「手伝わないのならば、お前だけをここに残していく」
「い、嫌だっ」
 理由はどうであれ、折角のチャンスなのだ。それだけは絶対避けなければならない。
「僕も兄さんの力になれるよう努力……します」
「まずは、そこの二人を起こすんだ」
 こくりと頷いて、ルイザは眠っている二人を起こしにかかる。
「で? 僕の姫、何か訊きたいことがあるんだろう?」
 先程からもの言いたげに立っていたラムアに視線を向けた。
「……その……そこに、王女様はいるの……?」
 躊躇(ためら)いがちに切り出された質問は、当然出されるべき事項であった。
「そう……だね」
 約束と違う。
「……すまないとは思っている」
 だが、仕方がなかった。
 魔力の流れがおかしいから――
 妹が余計なことをしたせいで、滞留していた魔力が流れてしまった。
「いい……訊きたかっただけ」
 きっと、彼には正当な理由があるのだ。
 それも多分、自分のことを考えてくれての理由だ。
 彼も、優しい。
「……ん……」
「まだ眠いよ……」
 眠っていた二人を強制的に起こす。
「ごめんルゥ」
 ルイザの意思ではない。
「今から移動するよ。ほら、ティアも、ルゥも立って」
 早口にまくし立てられて、寝惚けた顔を上げた先に見たのは、三年間ずっと忘れられなかった顔。
「……サーファ・スティアス……!」
 腹の底から声が漏れる。
 どうしてこんなところにいるのか。
「今は再会を喜んでいる場合ではないよ、ティア・セオラス」
 彼は動じない。
 その仇の隣には、ずっと求めていた婚約者が。
「……だーれ? ボクはルゥだよ?」
 寝惚けた目をこする。
「私(わたくし)は、サーファ・スティアスと申します。以後お見知りおきを」
 ルゥに軽く頭を下げる。
「うん、よろしくー」
 ルゥが笑った。
 それを見届けてからサーファは言う。
「では、顔ぶれは揃った。魔術を始めよう」
「え?」
 いきなり起こされたティアもルゥも、何をするのかさっぱりだ。
「魔法……?」
「そうです。ここにいる全ての人間を、転移の魔法で移動させます。場所はここから北西寄りにあるシディア」
 ティアが目を瞠(みは)る。
 何故、と、疑問が沸いた。
 シディアは故郷であり、そして最も悪い思い出のある場所だ。
 視線を向けると、ラムアは元気がないように見える。
「そうだ……ロナ様は」
 ティア達は、王女を探す為に北に向かっていたのだ。シディアなんかに行っている場合では無い。
 だがその問いに、思いがけないところから、返事があった。
「先にシディアに」
 サーファが短く答えた。
「え?」
「殿下は無事だ」
 どうしてこの男が、主と居場所を知っているのか。
 だがそれ以上、彼は答えたくなさそうだった。
 だからルイザは言う。
「手を繋いで円になって」
 兄にこれ以上嫌われたくなかった。
 自分も手を繋ごうと思ったが、一番近いのはルゥとサーファだ。
 でも怖くて、兄には触れられない。
「ほら、サーファもティアも」
 彼らの間を取り持ってくれたのはラムアだ。
 その隙にルイザは、ルゥとティアの間に入って、気付かれないように安堵の溜め息をついた。
「じゃあ始めようか」
 目を閉じて、深く息を吐き出す。
 魔術を扱うときは、邪念を追い払わなければならない。
 心に、何も無い状態になった瞬間、声を発する。
「転(シャ)・地(ルータ)・移(ヤ)」
 タイミングを合わせた訳でも無いのに、二つの声が重なり、静かな森に響き渡る。
 と同時に、五人の姿はその森から消え失せた。

あとがき

2011年06月28日
改訂。
2006年01月30日
初筆。
優しさが交錯する。
いよいよ兄妹対面。
だが、険悪。

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