9章 さようなら 001
朝は朝で寝起きが良かった。こんなによく眠ったのは一体いつぶりだろうか。
今日一番に目の前に広がっているのはふわふわの金の髪だった。
「ロナ……様?」
今日は間違えない。
何気なく手を伸ばすと、柔らかくて温かいものに触れる。それはとっても心地良く、まだ寝惚けた頭のティアは、自然とそれを引き寄せる。お日様のような匂いがする。
そして、ティアはそれをぎゅっと抱き締めて、二度寝をすることにする。
ゆったりとした気持ちで目を閉じて、暫くの後にはたりと気付く。
「…………」
まさか。
……でもそんな訳……だが……。
一度閉じた目を開けたくはなかったが、仕方なく、そっと開けてみる。
「…………」
間近にあったのが予想通りというのか……金の長い髪の頭だった。
そしてゆっくりと思考を巡らせる。この、自分が腕を回しているのは……。
「……」
今、彼女――ロナは眠っている。
どうにか、気付かれる前に離れるべきだろう。
だが……。
離れたくない。
どこか遠いところで、そんなことを思う自分がいた。
彼女は柔らかくていい匂いがして、側にいるのは心地良い。
このまま寝たフリを決め込むのもいいかもしれない……。
あぁ、心臓がドキドキして煩い。
後ろから腰に回された腕が変に熱い気がするのだが、もしかしたら熱を持っているのは自分かもしれない。
このドキドキの張本人であるティアは寝ているのだろうか。
一体、私はいつの間に眠ってしまったのか。ルイザのことを話して、ティアがもう少しこのままでいて欲しいって言って……。
はっきりと言ってしまうと、その辺りからの記憶がない。
気付いたら布団の中で熟睡……そして、この何とも言えない状況――
そもそも、今は一体何時なのだろうか。
そう思った瞬間、もの凄く嫌な予感がロナを襲う。
運命とはどうしてこんなにも残忍なのだろうか。
まさか、こんな時に奴の機嫌が悪くなるとは。
そう、ロナのお腹の虫が鳴いたのはその直後のことだったのだ。
「…………」
「…………」
暫しの沈黙。ティアが寝ていることを切に願う。
その時、扉を叩く音と複数の声が聴こえた。
「おねぇーちゃん」
これはルゥだ。
「待つでござるよルゥ様」
そしてござると。
「どうして? ボクもおねぇちゃんと一緒にいたいよー」
「駄目でござる。二人は今お取込み中というやつでござるよ」
ござるは声を潜めているつもりだったのだろうが、薄い扉を一枚隔てただけでは丸聞こえだ。
「おとりこみちゅうってなーに?」
「お取り込み中と言うのは……うむむ」
「なーに?」
「お、大人になれば分かることでござるよ。今はまだ分からなくていいでござる」
「うーん、分からないから入ってもいーい?」
「だから駄目だと……」
勝手に扉を開けようとしたルゥを捕まえようとござるが手を伸ばす。
しかし、それと同時に扉が開いて、勢いのついた二人はスライデングで室内に飛び込んだ。
「二人ともおはよう。そして大丈夫?」
二人の顔を覗き込んで、先程までのドキドキを紛らわせる。顔は赤くなっていないだろうか。
「ボクは大丈夫ー。ござるは?」
「拙者も平気でござるよ」
二人は立ち上がって服に付いた埃をパタパタと払った。
「そう、よかったわ」
そうロナが微笑みかけると、ルゥがすぐさま質問する。
「ねーおねぇちゃん。おとりこみちゅうってなーに?」
ロナが一瞬硬直したのは気のせいでないはずだ。
「お、お取り込み中は、えと……その、忙しくて手が離せないってこと……よ」
「そーなの? それって、大人になったら分かるの?」
「そ、そうねぇ……ルウにはまだ分からないかもしれないわね」
きっとござるを睨みつけたが、彼は別の方を向いていた 。
「ふーん。あ、おねぇちゃん。ボクねーおねぇちゃんに会いたかったんだよ」
えへへっと笑いかけるのが可愛くて、ロナはルゥをぎゅうっと抱き締める。
「ルゥは可愛いんだからー」
「ロナ、ティアは?」
ござるの問い掛けに、ぎくりとしてロナが答える。
「ま、まだ寝てるわ」
まさかついさっきまで同じ床にいたとは言えない。
「ティアのベットは一番手前よ」
成程、そうロナが指し示したベットは人一人分程膨らんでいる。
「きっと疲れているのよ。えと……その、火の番とかしてくれてたし」
ロナの弁明を聞きながら、ござるは他のベットを見る。
手前のそれ以外は、ほとんど乱れた様子は無く、綺麗なままであった。
「ロナも昨夜はよく眠れたようでござるな」
含みを持った言い方で言うと、ロナが真っ赤になって面白かった。
「ねーいつ出発するの?」
ルゥが待ちかねたように訊ねる。
「そうねぇ……」
その時、またロナの腹の虫は機嫌が悪くなって、盛大に鳴り響く。
「ま、まずは朝御飯ね」
「ボクも腹ペコ!」
「それから……」
「では、まずは彼を起こしてくるでござるよ」
ござるが、目でベットを示すと、ロナが慌てた。
「わ、私が!?」
「貴女の護衛でござるよ。何か問題でも?」
「い、いえ。全然、全く」
きっとごさるは激しく動揺するロナを心の中で笑っているに違いない。
「ほーらルウ様。朝御飯は何がいいか考えておくでござるよ」
背中を押される形でロナは渋々先程までいた場所に向かう。
「ティア…………まだ寝てるの……? 」
さっきはティアが寝ていると思い込むことにして、慌てて抜け出してきたのだ。
「……起きて……ないよね?」
自分は覚えてないだけで、昨夜の内に何かしたか……されたか……。
しかし、今ロナの中で最重要なのは、もしティアが起きていたとしたら、さっきのお腹の音を近距離で聞かれたかどうかということで、もし聞かれていた場合、それは乙女として、非常に辛いものがある。
「……ティア?」
反応がないので布団を捲ると、端正な寝顔が顔を出す。
白い肌に黒い髪。
まるでおとぎ話に出てくる白雪姫のような――
ロナは思わず、その寝顔に見惚れる。
「……ん……っ」
眩しかったのか、ゆっくりと開けられた黒い瞳が真っ直ぐにロナを射る。
「……ロナ……様」
ティアの寝たフリは完璧だった。
昔、散々仕込まれたことはまだ忘れていないらしい。
「……おはよう御座います?」
極めて慎重にそう言った。
「あ、その、えっと……おはよう……」
何だか気まずい。
何がいけなかったか。
とりあえずティアは身体を起こし、寝乱れた着衣を直す。
「えと、その……」
ロナの言葉を待つが、上手く言い出せないでいるらしい。
「何ですか?」
「……えと……」
そう、今度こそはタイミング良くお腹の虫が鳴く。
やはり恥ずかしいのには変わりないのだが。
「そ、そう! 私お腹が空いたわ。ティアご飯を食べに行きましょう」
少しぎこちなくそう告げると、ロナはさっさとティアに背を向けてしまう。
「……御意。姫」
その声が虚しく響いた。
思い出は美しいままで残しておきたい。その方が傷付かなくて済む。
血の呪いを。
紅き血の呪いを。
彼は自分を嘲笑(あざわら)った。
紅きを通す物見(ものみ)は、とても――
「兄さん!」
ただひたすらに叫んだ。
「兄さん!」
真っ黒の後ろ頭に向かって。
血の――
「兄さん!」
それは決して振り返ることはなく。
そしてまた――
あとがき
- 2011年05月22日
- 改訂。
初々しい。 - 2005年10月19日
- 初筆。