32章 秘めた想い 001
――あの兄さんが魔法を忘れてしまうなんて、絶対に有り得ない。
そう信じていたのに、久しぶりに対面した、兄の姿は酷いものであった。
顔色は悪く、返り血なのか、衣服には赤黒く染みが出来ていた。
「ルディ」
「……兄さん」
「傷の手当を頼めるかい?」
ルイザは頷き、そして恐る恐る問うた。
「……本当に、魔法が使えないの……?」
否定の言葉を聞きたくて、そう言ったのに。
「あぁ、残念ながら嘘はついていないよ」
兄は、疲れ切った老人のように微笑む。
「……」
あの兄さんが、まともに自分と話してくれるだなんて……。
そんなことを思っている間に、サーファは戸棚から手当に必要な物を取り出していく。ルイザは、無意識にそれを目で追っていたが、堪え切れなくなって、問うた。
「……本当に、魔法が使えないの……?」
ルイザはまだ信じられなくて、同じ問いを繰り返す。
「そうだ」
だが、兄の言葉は変わらない。
背を向けたまま、ただ事実だけを告げるの声。
それ以外には何も言わない。
だがその態度が、はっきりと、それが真実であると告げていた。
「……分かった」
兄は黙ってその血だらけの服を脱ぎ捨てる。
その身体には無数の傷痕があり、ルイザは知らず、息を呑む。
「……おそらく、肋(あばら)と左腕は折れている。あとは大したことはない」
そうぞんざいに言った兄の言葉は、到底信じられるものではなく、一目見ただけで分かるほどに、酷い物もあった。
「そんな訳無い」
「平気だ。自分のことは、分かる」
そんな兄に少し腹が立って、まだ真新しい傷口を強く押す。
「……っ」
サーファはその痛みに顔を歪める。
「何を」
「本当は痛いくせに、無理なんかするな!」
思わず叫んでしまって後悔する。兄は驚いたような顔をしていた。
「う、ごめ、今のは言い過ぎたかも……」
声はあまりにも大きかったし、そもそも、そんなことを言える立場なんかじゃない……。
だが、サーファは溜め息をついて、その大きな右手をルイザの頭に置く。
「……え?」
ルイザは驚いて兄を見つめた。
「お前は、医術の心得もあるのだろう」
「え、……うん」
どうして知っているのだろう。
「では、お前の全力で治してくれ」
ほんの僅かだったが、兄は微笑んでそう言った。
「何しろ世界を救うという大事な仕事があるんだ。どうせなら万全の状態で臨みたいさ」
「世界を……救う?」
「……え、ああ、そうか」
少し不思議そうにしていたが、やがて得心したかのように、口の端を上げる。
「白い彼が言っていたよ、僕は全く覚えていないのだけれど」
白い彼というのはおそらく……。
「……ラグが?」
そういえば、暫く姿を見ていない。
「どうやらそうらしい」
兄はいつの間に彼に会ったのだろうか?
「治癒は得意なんだろう? なら、これくらいの傷なんてすぐに治せるだろう?」
ルイザは言いたいことを呑み込んで、頷く。
きっと兄は本当に記憶が無いのだ。どうしてだか、自分のことは覚えてくれていたようだったが、きっと訊いても兄自身が分かっていないだろう。
「当たり前じゃないか。お兄ちゃんの妹なんだから、出来ない訳無いよ」
そう言い放ち、にっと笑む。
「期待しているよ」
その言葉を聞いて、ルイザは、テキバキと治療の準備を始めた。
あとがき
- 2012年12月20日
- 結構前に書いたけど。
兄と妹、ちゃんと向きあえばいいのにね。