3章 仮面舞踏会 001

 日は過ぎ去り、ほんの少しだけ王城が恋しくなり始めた頃、ロナがあることを言い出した。
「――と言う訳でね、ちょっと寄り道してもらうわ」
 それは突然の申し出ではあったが、特に問題ない。
「分かりました」
「え、いいの?」
「はい」
 何に対してそう言ったのか理解出来なかったが、とりあえず頷いておく。
「……俺はロナ様の護衛ですから」
 ティア・セオラスに与えられた任務は、ロナ・デモート・アリアス王女殿下の護衛だ。
 だからティアは、ロナが行く場所に護衛として付いて行くだけであり、嫌だとかそういったことを言う立場ではないのだ。
「うーん……やっぱり直んないわねぇ」
 しかし、ロナはティアの言葉も聞かずに唸っていた。
「ロナ様、どうかされまし」
「ティア!」
 びしっと人差し指を鼻先に突きつけられて、ティアは少したじろぐ。
「様を付けるのは止めてって言ってるでしょう!」
 ティアはロナのことを姫とは呼ばなくなったものの依然、様を付けて呼ぶのだ。
「それと敬語も要らない!」
 折角こうして一緒に旅をすることになったのだから、対等な友人でありたいというのは、ロナの我儘なのだろうか。
「ロナ様」
 だ、か、ら、と注意しようとしたロナの腕を掴み、ティアは走ってその場を離れた。
 その瞬間、幾本もの矢が先程までロナの居た場所を貫き、射られた方角とは逆の太木の幹に、深々と突き刺さっていた。
「……!」
 ロナは息を呑む。
「尾(つ)けられているようです。……もう少し開けた場所まで走って下さい」
 諭すような声で促されて頷く。強く掴まれた腕の力が少しだけ緩められた。
「う、うん」
 ロナはティアに引かれるままに走った。

 かなりの間、走り続けている気がする。
 とても疲れたけれど、止まったら殺されるかもしれないのだ。そんな恐怖がロナを急き立て、走らせていた。
 だが殆ど代わり映えしない森の中を走り続けているから、今自分がどこにいるのか全く分からない。ただ、足が鉛のように重く、息が苦しい。
 額に浮いた汗が首筋を伝う。
「もう……大丈夫です」
 辺りの気配を伺うように潜めた声だ。
 引かれていた腕が解放され、思わず前のめりに倒れかけて、踏み止まる。かなり乱れた息遣いのまま、ロナが顔を上げた。
「そう……よかっ………………!!」
 呼吸は苦しかったが、その色違いの瞳はある一点を見ていた。
「お怪我はございませんか?」
 だが、この王女にはそんな声が聞こえているはずもない。
「……ここ」
 ティアとは違い、ロナの呼吸は乱れていて聞き取り辛い。
「は?」
「ここよ……ここっ」
 ロナは顔を輝かせて、ティアの腕を引いた。
 何事かと思い、ロナの視線を辿り、振り返った。その2色の瞳の視線の先にあったのは壁で、見たところ、かなり大きな屋敷の一角のように見受けられる。
 そして、その壁にはその家紋らしき紋様が彫り込まれている。
「ここに……寄るの!」
 まだ落ち着かないのか、息切れをしたままロナは言う。
「ゼリェス家、ですね」
 ゼリェスは、代々商家として、各地で繁栄を築いてきた家系である。そのゼリェス家の家紋は柊(ひいらぎ)の葉が二枚、対称に組み合わせられたもので、今目の前にある壁のにもその文様が細かく掘り込まれ、ここが誰の屋敷であるのかを見せしめていた。
「ここの、ゼリェス家主催の仮面舞踏会に出るのよ」
 ようやく常の心拍数に戻ってきたらしい姫は、微かな皮肉を宿した笑みで微笑んだ。
 
 
 人払いをした室内で、二人きりになるのは、一体いつぶりだろう。そんなことを頭の片隅で考えながら話していた。
 余計な話などは一切しない。必要なことを伝えるばかりではあったのだが、それでも久しい。
「護衛はつけよう」
 適任は誰だろうと、そう短くはない時間、考え込む。そしてふと、思い出した。
 たった一度見たきりの、ある少年のことを。
「……あれが、よいだろう」
 いつの日のことだったか……。御前試合などではなく、政務の途中、時間短縮の為、偶々(たまたま)通りかかった中庭で見た気がする。
 一介の軍人の練習風景など、普段なら気にも留めない。
 だが、その日は違っていた。何の気なしに中庭に視線を遣ると、まだ少年だろう男が、軍服を着た数人に囲まれていたのだ。
「あれは、お前と同じ年頃で」
 思い出すのは、その少年の黒い双眸(そうぼう)だ。真っ直ぐで強く、だけれど、どこか諦めたような得体の知れない光を宿していた。
少しだけ気になって、気づけば目で追っていた。
「……身分も勲章も、何も持たないが」
 だが、彼は自分よりも遥かに体格の良い兵達を、一度に打ち負かしたのだった。
「これだけは言えよう?」
 あの日見た光景が昨日のことのように思い出された。
 迷いの無い剣捌きと小柄故の敏捷(びんしょう)さ。それらは、  武術にはあまり詳しくはなかったが、それでも純粋に凄いと思った。
 それっきり、その少年の姿を見たことは一度も無かったが、それでも思う。
「あれの腕は確かだろう」
 随分と月日は流れ、今はもう青年の姿かもしれない。だが、それでも王はあの日一度見たきりの少年の姿を思い浮かべてそう言った。
「……ありがとうございます」
 儀式的に礼をして、ロナは部屋を辞す。王は溜め息をついて、心の中でこう付け足す。
 後から聞いた話だったが、彼は軍の中でも煙たがられているという。
 だから、……そんな者にこそ、この任務は打ってつけであった。
 そう、互いに疎まれる存在であればあるほどに――……

あとがき

2011年04月14日
改訂
2007年08月26日
ゼリェスの家紋は柊(ひいらぎ)の葉が二枚、対称に組み合わせられている。
仮面舞踏会の主催者。

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