10章 大切な人 002

「……っ……」
 彼女は動かない。
 本当に、このまま二度と動かなければ……。
 そんな不安を必死に拭って、決意する。
「……助ける」
 何があっても。
 そう思ってから、彼は彼女に触れる。
 吹き込んだ息が抜けないように、鼻をつまんだまま慎重に呼気を吹き込んだ。
 彼女が再び笑ってくれるように――
 そんな願いを込めて、彼は血の気の引いた彼女と唇を重ねた。

 ――それは、愛する人を失ったティアが、自らの意思で行った初めての口づけだった。

「私……やっぱり団長さんと話すわ」
 それは唐突に切り出された言葉で、ある人はやっぱりといった表情をし、またある人はぴくりと反応し、そしてある人は眉根を寄せた。
「……どうして?」
 そんなことをする必要は無いのに。
「あのねルゥ」
 異端の王女は、極めて穏やかに諭す。
「考えてみて? ルゥにとっては……えっと……そう、父親同然の団長さんに、あなたを私の我が儘で連れて行ってしまうのに、私が挨拶をしないのは、とても失礼じゃないかしら?」
 その、ちょっと傲慢な物言いが、過去を思い起こさせる。
「……」
 ちちおや。
 ルゥは、ロナに言われた言葉を心の中で反芻する。
 おとーさん。
 本当のお父さんには会ったことが無いけど。
「ね、ティア?」
 いきなり話を振られたティアは驚いたような顔をみせる。
「……え 、あ、はい?」
 返事したつもりもないのに、ロナはさっさと話を進める。
「ほーらティアもそう言ってくれてるでしょ?」
「……」
 ルゥは答えない。
「だからね……ルゥはここで待ってて」
 気丈に振る舞っていたが、ロナの手は震えていた。震えを抑えようと、握った拳に力を込めて、もう一度言い聞かせる。
「団長さんと話をしてくるから待ってて」
 ボクはいらない子。
 ボクはいらない……子?
 視界の端っこに、かつての仲間達がいた。不安そうにこちらを窺って……。
「できる……わね?」
 優しい笑顔で、ぽんぽんとルゥの頭を撫でた。
 ――怖くて、怖くて。
 ワガママなのは分かっていた。
 自分が行くのは怖くて、だから全てを知っている叔父に頼んだ。
 でも――
「……おねぇちゃ ん」
 ルゥは深く頭を下げた。言葉はそれ以上出なかったけど。
 ――お願いします。
 心からそう思った。
「任せて」
 ロナはルゥの気持ちを知ってか、姉らしい顔で口の端を上げた。
 まだ手は震えていたのだけれど。
 ロナの後に続こうとするティアを遮って、ござるが立ち塞がる。訝しむティアにござるは短く答えた。
「拙者が」
「……」
 それは来るなと言うことだろう。
「……ティアはここでルゥをお願い」
 私の大切な――
 ティアは何も答えなかった。
「宜しく」
 念を押すようにもう一度だけ告げて、ロナはティアの前を後にした。

 ティアが最後に見たのは、不安げだが、気丈な背中だった――

 くすりと息だけで笑んで、彼はその場を離れた。
 彼は、これから何が起きるかを知っていた。
 ただ、それはもう少し先のことなのだけれども。
 彼はその時が来るのが楽しみで楽しみで仕方がなかった。

あとがき

2011年05月27日
改訂。
2005年11月08日
初筆。

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