初めてのダンスパーティ

 毎日毎日飽きずに一緒にいた。
 彼女を守る騎士(ナイト)なのだから、それは当たり前のことなのだけど。

「ティア」
 何度も聞いた俺を呼ぶ声。
 あれからどれ程の時が経ったのだろう。
 彼女はいないのに、時折、耳鳴りのように、頭に響く……。

 物心がついた頃には、いつも一緒で、彼女無しの人生なんて考えられなかった。
「ティア」
 ちょっと我が儘で強引な彼女だったけど、いつも幸せそうに、俺の名を呼ぶ。
 俺はそれが嬉しくて、とても誇らしかった。

 あれは俺が10歳くらいだったように思う。
 その頃は、彼女の可愛いらしい我が儘を叶えてあげるのと、剣の稽古をするのが毎日の日課だった。そんな彼女の可愛らしい我が儘の中でも、その申し出は唐突で、有無を言わせないものであった。
 その日もいつものように彼女の部屋を訪れる。いつもと同じ決まった時間に行ったはずだったが、待ちくたびれたように彼女はこう言う。
「来月うちでパーティーがあるの」
 彼女の可愛いドレス姿が見れるのは嬉しいなと思う。
「領地内の貴族達を呼んで、ダンスをするんですって」
 これまでにもこの屋敷では、何度もそういったパーティーは催されていた。
 でも、俺は幼くて、出席したことがなかったし、彼女自身も昼夜問わず食事会には同席していたが、夜遅くまで続く夜会への出席は許可されていなかった。
「それでね、今回はお父様と特別仲の良い人達だけしか呼ばないらしいの」
 何となく上擦ったような声で、彼女は喋り続け、俺は相槌を打って聞く。別段いつもと然程(さほど)大差は無いように思う。
「だから、今回はあたしもダンスの方にも参加していいって、昨日、お父様が!」
 彼女は溢れんばかり期待と憧れに頬を紅潮させて、力強く言った。
 俺は、その気迫と嬉しそうな表情(かお)につられて言う。
「おめでとうございます」
 彼女が嬉しそうにしていると、俺も嬉しくなってくる。
「うん、嬉しい」
 心の底からの笑顔がとても愛らしい。
 その笑顔に少しばかり見惚れていたのだが、続けて言われた言葉に驚き、我を取り戻す。
「もちろん、あなたがエスコートするのよ?」
 彼女は小首を傾げて微笑む。
 その笑顔はとても可愛い。可愛いけれど……。
 俺は代々彼女の家系を護ってきた、由緒ある家の長男だったから、そういう場に出ることも将来的にはあるだろうと思っていた。
 だが、しかし、それは彼女がもっと大きくなってからだと思っていたし、否、勿論、とても可愛い彼女をエスコートしてくれる男なんて腐るほど出てくるはずだろうし、じゃなくて、そもそも俺自身パーティーなんかに出たことがなかったし、というよりはパーティー自体に然程(さほど)興味も無い。それに、ずっと彼女に付きっきりでいるからか、人前に出ることは苦手だったし、何より週1回のダンスの授業は嫌いだった。
「あたし、ティアがエスコートしてくれないなら出ないわ。部屋に閉じこもってぜーったい出て行かないんだから!」
 直ぐに返事がなかったからか、彼女はふいとそっぽを向く。俺は慌ててこう言った。
「それはいけません!」
 出席の許可をだしたということは、それはつまり、自慢の愛娘を客人達にお披露目すると、彼女の父親が周りに公言……否、悪く言えば、可愛い娘を見せびらかすのだと言い触らしているはずで、だから、もし彼女がそんなことしたらどうなるか……。
「あら、そう?」
 彼女は、少しだけ意地悪そうに微笑む。最初からこうなることは計算済みだったに違いない。
 彼には考える間も与えられず、彼女の望む返事(こたえ)に導かれる。
 即ち、御意と。
「ダンスパーティーが楽しみね」
 とても上機嫌に、彼女は笑った。

 その日から生活が一変した。
 彼女が恥をかくことの無いように、礼儀作法を習い、剣の練習の空き時間にはダンスの特訓をした。
 今までよりも格段に忙しくなったが、それでも彼女の部屋には毎日通った。
 彼女自身の勉強や稽古の時間以外は、ずっと彼女と一緒にいたし、彼女の無茶なお願いも全部叶えてあげた。
 自分の時間は全て彼女に捧げていた。

 しかし今思えば、とても充実した日々だったように思う。

 その日、昼から彼女の乗馬の時間があったのだが、休みになった。彼女専用のお気に入りの馬が、体調を崩したからで、まだ幼い彼女は、気性の大人しいその馬にしか乗れなかった。
 だから、退屈しているであろう彼女の部屋を訪れたのだが、今日は何だかいつもと様子が違った。
 普段なら、彼女の部屋にはお付きのメイドが1人控えているだけなのだが、今日は似たような格好の女性がそこかしこで忙しそうに動き回っていた。
 まぁ、今までにもそんなことは何度かあったし、彼女らも自分の仕事で忙しそうだったので、特に何も言われずに、扉の前まで辿り着く。
「……や…………み……の……」
 部屋の中からうっすらと彼女の声が聞こえた気がしたので、もしかすると来客中なのかもしれない。彼女の部屋に客人が来ることは少なかったが、取り合えず、彼女に取り次いで貰おうと思い、そこで初めて周りを見渡して気付く。
 メイド達が持っているのは、色とりどりの布や、彼には価値の分からない細かな刺繍の美しいレースや大きな花を模した髪飾りではないか。
 と、そう思った瞬間に扉が開き、雪崩のように人が出てくる。
 驚いたのもつかの間。そこに、絹糸のように美しい金色の髪を見つけて手を伸ばす。人混みに押し潰されそうになりながらも、大好きな彼女の細い腕を掴んだ。
 が、一瞬で後悔した。
「……う、あ……わ」
 薄く、滑らかなシルクの肌触りと薄い布越しに伝わる熱と柔らかい感触に、彼は驚き、そして焦る。思わず手を離してしまって、彼女を見る。
 彼女は小さなフリルの付いた白い薄いドレスのようなものを着てはいたが、着ているのはそれだけで、肩は剥き出しになっていて、寒そうだった。
「ティアっ」
 嬉しそうな声が耳元で弾ける。
「すっごく会いたかった」
 彼女はそう言って、ぎゅうっと彼にしがみついた。ふわりといい匂いがする。思わず頬が赤くなってしまったかもしれなかったが、今はそんなことを気にしている場合ではなかった。
「……わ、……め……です」
 喉の奥から搾り出すようにそれだけを言う。
 貴族の娘がこんな下着同然の格好で、臣下の、しかも異姓である、にしがみついて良い訳が無い。
 慌てて身体を捻って、彼女の身体を引き離す。
 彼女は抵抗したが、彼の方が年上で、これでも一応力はあるはずだった。
「すみませんが、彼女を部屋に連れて行って下さい」
 身体を離して、周りにいたメイドに告げる。
「勿論ですわ」
 メイド頭が細かな指示を与え、彼女の周囲を包囲する。
「ちょっと! ティア!!」
 メイド達は全員で彼女を捕まえ、元いた部屋に連れ戻す。
「ねぇティアってば!!」
 彼女は必死にもがいていたが、彼はそちらを見ないように、両手で耳を塞ぐ。
「ねぇってば!!」
 彼女は最後まで何かを訴えていたが、聞こえていないフリをした。
 すぐに扉が閉められ、彼女の声はもう届かない。
 耳を押さえていた手を離して、振り返る。
 部屋の中では暴れているような気配がしたが、きっとどうにかなるだろう。
 しかし、ここで帰ってしまうと、只でさえ不機嫌であろう彼女がもっと不機嫌になるのは予想できたので、彼女の着替えが終わるまで、ここで待つことにする。
 壁に背中を預け、引き摺るようにしゃがみ込む。
 シルクの感触がまだ手に残っているような気がして、手の平を見つめる。
 抱きとめた瞬間に、びっくりして心臓が飛び出るかと思った。
 彼女は柔らかくて、甘いお菓子のようないい匂いがした。

 いつの間にか時間が経っていたらしい。物思いに耽る彼の目の前の扉が開く。
「今度のパーティ用のドレスが出来たから、ティアに見せようと思っただけなのにーっ」
 彼女はいつもの動き易いドレスで再び部屋から出てきた。
 面白いくらい予想通りの不機嫌具合で、こっそり笑ってしまったのは内緒だ。
「で、完成していなかったんですね?」
 だからメイド達も必死で食い止めようとしていたのだろう。
「まぁ仮縫いとか言ってたような気もするけど、でもちゃんと着れたんだから見せても大丈夫でしょ?」
 そういう問題でもないし、まだ仮縫いであればちゃんとは着れてはいないと思うのだが、しかし厳しく言うと、余計に拗ねるのは予想が出来たので、彼女の手を取り、軽く口付けた。
「楽しみは当日までとっておいた方が、夜も眠れないくらい待ち遠しいですよ?」
 何を着たって彼女は可愛いし、きっと似合うだろう。それは紛れも無く、本心で、本当のことだった。
 少し考えた後、満足気な表情で頷く。
「……まぁ、それもそうよね」
 どうやら彼女の機嫌は直ったようだった。

「ティア」
 直ぐ傍で名前を呼ばれているような気がして、振り返る。
 しかし、そこには誰もいない。
 ただぼんやりとした真っ白な世界が広がる。
 今のは空耳だったのだと、自分に言い聞かせて前を向く。
「ティア」
 先程までとは違う、紅。
 閃光のように、暗転する世界。
 紅く紅く染みのように広がり、侵食していく。
 頭の中に、警鐘のように響く声。
 見てはいけない。決して見てはならない。
「……ティア?」
 声が聞こえる。可愛い彼女の心配そうな声。
 耳を塞ぎ、目を強くつぶって、頭を振る。何も聞いてはいけない、考えてはいけない。
 何も――

 数日後、予定通りダンスパーティーが執り行われ、彼女は無事ダンスを披露した。
 彼女のステップは完璧で、日頃の無邪気さは微塵も感じさせなかった。
 付け焼き刃だった彼のエスコートもなかなかのもので、公爵、つまりは彼女の親バカな父親や、パーティーに呼ばれた客人達も絶賛したという。

 それは彼女にとっては当然のことで、彼女自身の務めであると、彼女自身が一番理解していた。
 彼にとってはそれが何よりも誇らしかった。

あとがき

2011/03/21
ティアも昔くらいは、おいしい思いをして欲しいなと思いました。
まぁ、ラムアのチラリズムが書きたかっただけです(変態

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