14章 喪った過去 001
「その子を、宜しく頼むでござるよ」
あどけない小さな赤子は、今はぐっすりと眠っている。
「はい、勿論でございますよサ」
「その名はとうの昔に忘れたでござるよ」
金の髪の美しい男は微かに笑む。端正な顔立ちのその青年が公に出ることは殆ど無い。
彼は忘れ去られた王子であった。
今は……元、と付けるべきだろうか――
「兄の子を宜しく頼むでござるよ」
青年はもう一度そう告げて、赤子に背を向けた。
「勿論」
友人同士だった彼等は、そう言って別れた。
くすんだ青い瞳の男は、何も言わずに彼を見送った。
その隣で、小さな赤子は清潔な布に包まれて、安心しきったように眠っていた。
「ん……んん?」
もう一度辺りを見渡す。
ルゥの隣で腰を下ろしたものの、ようやく気付いてはいけない大事な事に気付いてしまったようだ。
「……やれやれ迷子か。駄目だねティアもラムアちゃんも」
所謂、責任転嫁というやつだ。
ルゥとルイザが先頭きって歩き、ティアとラムアがその後ろを歩いていた筈なのだが、今、ルイザの周囲にはルゥの他に、誰もいない。
「待つか、待たないか。んー……」
条件さえ悪くなければ、ティアのところになら行けなくはないのだが……。
魔法で眠りに落ちたルゥをちらりと見る。泥だらけの服と、細い金髪を伝う水滴。
起こさないように、そっと指先で雫を拭ってやる。
「先に乾かすべきだよね」
そう言う自分も濡れた地面に座った訳で、びしょびしょだし泥まみれで汚い。
「水場とかないかな……」
そう呟いて耳を済ます。
水の音が聞こえればと思ったけど、それよりここはどこなのだろう、とか、さっき食べたばっかりなのにお腹空いたなぁ、とか、関係ないことばかり思い出されてちっとも集中出来ない。
「少し……歩こうかな」
よっこいしょっとルゥを背負って歩き出す。
「軽いなぁ」
あはは、羨ましい。
そんな風に考えながら、適当に歩く。
ずっと会いたかったティアに会えて、仲直りをして。今度こそは一緒にいられるはずだったのに、どうした訳かティアはここにはいない。
「はは……滑稽だな」
自嘲のつもりでそう呟いたのに、何だか楽しくなってきた。
いつもだったら、こんな風にはぐれて正気でいられなかった。
置いていく方は、その方がいいとか勝手に思っているのかもしれないが、いつも置いていかれる身にもなって欲しい。
でも、今日はそんな風には思わなかった。
「変なの」
背中に感じる熱が心地良い。
そういえばさっきの。
「せんせーって」
これって何だか師弟っぽくないか。
「うーん、先生も悪くないけど……。そうだ、これからは師匠って呼んでもらおーっと」
うふふっという笑い声とルイザの声が気味悪く森中に響き渡ったらしい。
大分前に木の枝にひっかけてしまったところがずきずきと痛む。
「……ラムア様?」
「え……何?」
呼び掛けても全然聞こえていないようで、気にせずさっさと前を行くルゥとルイザを追おうと必死だった。
ふいに振り返ったティアが心配そうな顔をしていた。
「どうかなされましたか?」
「何が?」
笑顔を作って問い返す。
「顔色が……」
そんなに辛そうな顔をしていたかしらと、どこか人事のように意識から遠いところで考える。
「あたしは」
何ともないわよ。
そう答えようとしたのに、ティアは歩みを止めて、失礼しますと言って腕を掴んだ。
「……っ」
その苦痛に表情が歪む。
「怪我をしていますね。見せて下さい」
白い服には血が滲んでいた。
片方だけの袖を捲ると、何とも痛々しい生傷が現れた。
突き出した枝に傷付けられた左腕を手当てもせずに放置したのだ。誰かに見咎められないようにと捲っていた袖を戻して。
「どうして黙っていたんですか」
ティアの声は低く、固い。
「……ティアが、一生懸命だから……」
だから重荷になりたくなかった。
そんなことは言えない。
もうすでに、立ち止まってしまっているのだから。
傷の痛さなんか忘れてしまいそうな程、心が痛んだ。
「心配、させないで下さい」
優しくそう言って、ティアは当然のようにその傷口を舐めた。
ティア……。
こんなに近くで見るのは一体いつぶりだろうか。
自分の知らない間に、ティアは逞しくなっていた。
「心配かけて……ごめんなさい」
触れているティアの手と、傷口とがとても熱くて、今にも泣き出してしまいそうだった。
あとがき
- 2011年06月11日
- 改訂。
- 2005年12月16日
- 初筆。
切ないような、そんなラブストーリーが書きたい。