幸せだったあの頃 005
はらはらと花びらが散る。
白い雪原に、それはよく映えた。
「……っ……」
息を呑んで、大木を仰いだ。
彼は目を瞠(みは)る。
咲いていたのは血のように、紅い花。それは、美しく深い色であった。
――やだ……嫌だ……。俺が望んだのは……こんな、こんな花じゃない……!
全身が震えて、膝から折れる。
大地に手をつき、そして地面に散乱する血の色の花弁に、そっと手を伸ばす。
カタカタと細かく震える腕が、そっと花に触れた。
「ティア……?」
大好きな声に誘われ、強い風が花びらを攫った。
紅い花は風に乗って、ティアの、その幼い手を離れた。
その花びらを目で追うようにして、空を仰いだ。
日が暮れて、空が茜色に染まっていた。
聴こえるのは歌。
それは子守唄のような、とても優しい歌だった。
朝日が眩しくて、少年は目を覚ます。
「……夢……?」
いつものように朝が来たけれど、今日はいつもとは少しだけ違った。
そう、今日は花が一つ咲いていた。
少年が目を見開く。
何度目蓋を擦っても、逆さまから見ても、そこには見事な白い花が一輪咲いていた―――
「どーして……?」
自然と言葉が漏れる。
「馬鹿ティア」
そう、ちょっとだけ、傲慢に笑う。
「そーんなの、花が咲きたかったからに決まっているでしょ」
いつの間にやら、隣には妖精がいた。
「……ラムア様っ」
少し驚いて言うと、彼女は笑った。
「おはよう?」
昨晩、ティアはいつものように彼女を屋敷まで送っていったはずだった。
「どーして……?」
それは、本日二度目の問いだった。
「彼女が、許嫁(フィアンセ)の誕生日にデートを、すっぽかしてどうするの?」
彼女はいつもティアの問いに答えてくれる。
誕生日……? 言われて気づいたが、そんなことはすっかり失念していた。
「すみません」
それは、いらぬ問いを発したことに対するのか、それとも昨日の……。
彼は微笑む。
今日も隣にいてくれてありがとうございます――そんな言葉を、その笑みの中に全てを隠してしまう。
「ティア、好きよ」
恥ずかしがらずに言われたことが、当然のようで嬉しい。
「俺もです」
彼は、ラムアの手をとって口づける。
それはまるで、何かの誓いを立てるかのように神聖なものであった――
いつの間にか、花は満開だ。
そしてその綺麗な木を、大好きな彼女と並んで見るのは、格別だった。
ティアは、今落ちたばかりの花を拾って、彼女の柔らかい金糸に絡ませる。
「綺麗です」
彼女の頬が朱に染まる。
「ホント?」
「はい、花が」
一瞬の沈黙の後、彼はけらけらと笑う。
「……ティアっ!」
彼女は涙目になりながら、ティアを追い掛け回す。
曇天の中、満開に咲いた花は、今日も美しかった。
あの日、紅き血の惨状を目(ま)の当たりにしたにも関わらず――
今年は、少し起きるのが遅れてしまった。それを少し、不覚に思う。
寝坊をしなければ、あの少年がその手を汚(よご)すことはなかったかもしれない――否、例えそうだったとしても、事実はきっと変わらない。
大切なのは、物事が起きた後どう生きるかであって、その事自身ではないのだから。
今日も、変わらず世界は美しい。
雪は汚い部分を白く覆い隠していく。
紅(くれない)を吸い尽くして、今日も大地は輝く。
そして、その大地を子供達が駆ける―――
「そうだわ、ティア! あなたの誕生日プレゼントは……あたしが、あなたを好きに出来る!」
そう大声で宣言して、ティアがずっこけた。躊躇いも無く、顔面から雪に突っ込む。
「な、何言ってるんですか……!」
耳も首筋も、全身真っ赤にして、雪に埋もれながら言う。
「いいじゃない。今日はあなたの誕生日だもの。特別よ」
「でもそれじゃあ、俺への誕生日プレゼントじゃないですよ……!」
「だって、ティアにあたしを自由にしていいって言っても、あなたは何もしないに決まってるじゃない!」
彼女は傲慢に笑む。
全くその通りなのだから、彼に、言い返す術(すべ)は無い。
「だから、あたしがあなたを自由にするの!」
けらけら笑って、ラムアは宣誓する。
「だからって……!」
「はいはーい。文句は言わない! 決まりなんだから、反論なんてしちゃダメなの!」
そう言い捨てて、ラムアはティアを助け起こしてやる。
彼は、困ったような表情(かお)だったが、満更でもなさそうだった。
そしてその二人の様子を見守るようにして、ねぼすけな大木も笑っていた―――
あとがき
- 2012/05/11
- 改訂
このページだけ無駄に改行だらけだったので、大分削ったというか、くっつけた! - 2005/10
- 短編の癖に、どれだけあんねん。(←自分につっこみ)
やっと終わった。
心が、綺麗だと思える話が書きたかった(撃沈……)
今回の登場人物は、スペシャルゲストに白い花の咲く大木をお迎えしました。本編にも後で出すかもね。
あらすじというか概要。
ある年急に花をつけなくなった大木と同棲し、殺人鬼は、許嫁(いいなずけ)に嫉妬される―――
こんな話ですよね?(笑)